西寒田神社参拝
- 福運屋 空彩
- 4月20日
- 読了時間: 3分
神社参拝第2社目は、大分市寒田(そうだ)に鎮座する西寒田(ささむた)神社です。 西寒田神社は藤の名所としても知られていますが、境内にある藤棚はなんと樹齢約450年!
地区民が社殿に供える御酒の酒造所を建てる時に植えたと伝えられており、昭和49年に大分市指定天然記念物に指定されています。
見頃は4月末から5月初旬ですので、もうじき見頃を迎えるころです。夜はライトアップされ幻想的な藤の花を観ることが出来ます。
夜のライトアップは私も観た事がないので一度行きたいと思っています。 動画にも少し書きましたが、
由緒・歴史は
旧国幣中社、豊後一ノ宮として広く知られる西寒多神社の由緒は、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸して四方の山々を御覧になり、そこに一本の白旗を立ててお帰りになった。
その後、人々はそれを敬ってその地に端垣を結び、聖地として崇めるようになり、やがて応神天皇の御代にこの地に宮殿を建立するため朝廷に願い出て、勅許を得た。
勅を奉じた武内宿禰は応神九年、豊後国に下向して宮殿の建立に当たった。
さらに7世紀の中ごろ、藤原鎌足が百済救援のため豊前国仲津郡まで来た折、霊夢のお告げを受けて西寒多神社に参拝。
老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納した。
貞観10年(869)、西寒多神社は朝廷から従五位下の神階が授けられ、延喜5年(905)に勅命により編纂された延喜式神名帳で式内大社とされた。
以後、在地の有力武将の信仰あつく、大友家初代能直を初めとする歴代大友氏の尊崇を集め続けた。
応永15年(1408)3月、大友家第十代の新世は尊崇のあまり社殿を山麓の現在の地に遷した。
江戸時代には、この地を領した延岡藩の牧野氏、次いで内藤氏の信仰厚く、たびたび神殿の改修修繕が行われ、藩士による燈篭などの寄進もあった。
明治4年(1871)4月、新たに設けられた社格制度で国幣中社に列格。
昭和20年(1945)12月、社格制度の廃止に伴い別表神社となり、今日に至っている。
とのことです。(西寒田神社ホームページより)
祭神は西寒田大神(ささむたのおおかみ)で天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の総称とされている。
相殿神は応仁天皇・神功天皇・武内宿禰(たけのうちのすくね)とされています。
ご利益は家内安全、安産祈願、商売繁盛、病気平癒、交通安全、縁結び、精神安定、合格祈願、必勝祈願、その他、健康長寿、厄除けなどとされています。
この様な、歴史ある神社に皆様と一緒に参拝できること、この神社参拝の動画を作って良かったと思います。
まだまだ、沢山参拝していきますので、よろしくお願いいたします。
皆様が、笑顔が絶えず幸せな毎日を過ごせますように・・・・弥栄
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